第24章 準備

フェンリスは、彼の部屋に入ると驚いて突然立ち止まり、それからゆっくりと中に歩み行った。
「それは一体何を作っているのだ?」と彼は不思議そうに尋ねた。

フェンリエルは手元の細工物から顔を上げ――何かの根菜の塊をくり貫いたものらしく――それからニコリと微笑んだ。
「アンダースのために、ちょっとね」と彼は言って、ナイフを机に置くと、くり貫いていた野菜の切れ端をアンダースに差し出した。年長のメイジがそのへんてこな塊を手に取った瞬間に、その物体の目的が明らかになった。アンダースのねじ曲がった手の形に合わせて、彼が容易にしっかりと握りしめられる道具だった。

アンダースは一声呻き声を上げると、頭を振り左手を伸ばして彼の右手の、二本の指をトントンと叩いた。フェンリエルが身を乗り出して、その指し示すところを覗き込み、それから頷いて道具を受け取ると、またナイフで少しばかり削り取った。

アンダースが削られた塊を受け取って納得したように頷き、それから手にはめ込んで、机の少し上で手を滑らせるように動かすのを、フェンリスは見守っていた。メイジがその塊のある一点を指さしてからフェンリエルにそれを手渡した時、フェンリスにもようやく、それが字を書くための道具だと言うことが判った。若いメイジは頷き、何か近くに有ったもの――羽根ペンの、長い羽根を短く切り落としたもの――を取り上げた。アンダースが持ちやすいペンを工夫しているのだった。

彼は二人の側に立ち、興味津々で幾度か彼らがその物体をやりとりするのを見守った。アンダースは更に幾度か字を書く真似をして、フェンリエルが注意深く羽根の軸をペン先として削りとった。最後のテストは実際に紙とインクを使い、アンダースが短い文章を書いて、彼が普通のペンを使う時よりも遙かに良くペンの進み具合を調節出来ることに、嬉しげな声を上げてニンマリと笑った。二人は更にペン先の角度と向きを幾度か調節し、指先をたっぷりとインクまみれにしたところで、ようやく二人とも満足する出来映えとなったようだった。

「だがそれは長持ちしないだろう?」とフェンリスは尋ねた。
「その野菜は乾けば縮んでしまう。あるいはカビが生えるかも知れない」

フェンリエルはニンマリした。
「長持ちさせるつもりが無いからね。セバスチャンが城の職人を何人か紹介してくれたから、これを持って行って、もっと長持ちするようなものを作るように頼んで見る。何から作るか、まだよく分からないけど……柔らかな木が良いかな、リンデンとか。陶器だと重すぎるような気がするし。とにかく、これを工房に持っていこう。職人とよく相談しなきゃいけないだろうから、少し時間が掛かると思うよ」と彼は言うと、心ここにあらずという様子で、布きれを掴むとインクまみれの指を拭き取り、それで荒削りの治具をくるみ、片手に持ってそそくさと部屋を飛び出していった。

アンダースはインクにまみれた手を見て顔をしかめた。フェンリスが彼のために別の布きれを持って来てやると、メイジはありがとうというように微笑んで受け取り、ともかく綺麗にはならなくとも乾いた状態になるまで、自分の手と指を拭き取った。

「君はフェンリエルが好きなようだな」とフェンリスは側の椅子に腰を下ろしながら言った。

アンダースは驚き、警戒するような目つきフェンリスを見つめた。

そういう意味で言ったのではない」
果たして自分の顔にニヤりとした笑みが浮かぶのを抑えられただろうかと疑いながら、フェンリスは言った。
「単に、好きだということだ」

アンダースはホッと溜息を付いた後、一つ頷き、彼の顔にも同じようなニンマリとした笑みが浮かんだ。
「あすえ、うれる」と彼は言った。今の彼はたとえ彼ら三人だけが周囲に居る時でもあまり喋ろうとはしなかったが、フェンリスの耳は既に彼が話をしようとする時に立てる、たどたどしい音を聞き分けるようになっていた。彼の手の動きの方も、話し方同様たどたどしかったが、アンダースはそちらの方は出来る限り治そうと試みていた。たった今も、彼はそこに座ったまま指を曲げ伸ばしして、歪んだ掌で出来る限られた範囲の中で、傷ついた皮膚と縮こまった腱に少しでも柔軟性を取り戻そうとしていた。

「ああ、君を助けるのが好きなようだ」とフェンリスは言った。
「おそらく、彼にとって君は心を開いて自由に話せる初めてのメイジなのだろうな。もっともホークとマラサリは別として。ホークの事は友人と思っていたかも知れないが、マラサリについてはどうかな。デーリッシュのキーパーとして、あの少年に真に心を開いて接していたかどうか、怪しいものだ。氏族の連中も同様だっただろう、彼らはヒューマンとの混血児をよそ者として扱う」

アンダースは頷き、それからフェンリスに向けて片方の眉を高く上げて問いかける表情を見せ、今度は面白がるような笑みが彼の唇の端に浮かんだ。彼の表情は、たとえ舌が無くとも、いくつもの事柄を雄弁に語っていた。

フェンリスは顔を赤らめ、それから声を立てて笑った。
「いいや。俺もそのように彼のことを思っている訳では無い」と彼はきっぱりと言った。アンダースはニヤッと笑った。
「もっとも、俺も彼のことを友人と思うようになったが」

アンダースは理解したというように頷いた。

このメイジが快復してからほんの短い日数にも関わらず、どれほど二人が気楽に話が出来るようになったかということに、時折フェンリスは驚いていた。カークウォールから今までの間の何処かで、アンダースはかつて彼の中核を成していた白熱する怒り、彼の情熱を注ぎ込む目的の正しさへの確信を、共にどこかに取り落としたようだった。無論、アンダースが今もメイジは自由であるべきだと信じているのは、間違い無かったろうが。だが今の彼はもっと幅広い意見を聞き、対立する視点からの観点を考慮しようとしているように見えた。それと同時に、彼自身の動機や欲求についても疑いを持ち問いかけるようになったのも、また明らかだった。

フェンリスは、かつてアンダースだった成分の果たしてどのくらいが、永遠にフェイドで失われたのだろうかと思った。どれくらい、彼はかつての彼自身を失ったのだろうか。ジャスティスの離脱によって、どのくらい変わったのか。それに間違い無く、フェンリエルが極めて率直かつ明確に語る、彼がテヴィンターで見聞きした事柄についての話の影響も大きいに違いなかった。
最後の考えが、フェンリスの心をちくりと突き刺した。かつてフェンリスが、彼自身の経験について語ろうとするのに耳を貸そうともしなかったこのヒーラーが、フェンリエルの言葉には喜んで耳を傾け、その内容を考えようとするということに。彼が同じくメイジだということはあるかも知れない、それに少なくとも外見上はヒューマンで……もちろんアンダースがそのように変化したということもあるだろう。ともかく、このヒーラーの変化の全ての原因がそれでは無いと、彼は思いたかった。

だが同時に、彼はアンダースが変わったことに大いに安堵してもいた。彼のメイジ全てに対するかつての嫌悪は既に無くなっていたにせよ、もし正気を取り戻したアンダースの最初の行動が、かつて彼がカークウォールで関与したような行いに戻ることだったとしたら、彼ら双方が不幸な思いをしたことだろう。その代わりに、アンダースがフェラルデンに戻りたいと、もし出来ることならグレイ・ウォーデンに復帰したいという意志を示したことにフェンリスは胸を撫で下ろす思いだった。彼の歪んだ両手と切り落とされた舌を除けば、このメイジは肉体的には健康で、しかも地下室での隠者めいた生活から抜け出したことで、かつての強靱な体力を急速に取り戻しつつあった。彼の魔法も、肉体的な不自由さには何の影響も受けていないようだった。もし彼が望めば、グレイ・ウォーデンのヒーラーとして働くことに何の支障もないだろう、もしウォーデン達が最初の逃亡の後でも、彼を受け入れるなら。

果たしてアンダースのほうは、彼らの間のこの友情めいたものをどう思っているのだろうかと、フェンリスはふと不思議に思った。彼は男の方をちらりとみて、アンダースが頭をかしげて彼の顔を見つめていることに気が付いた。彼はここで何も喋らず、随分長い間自分の考えに沈んでいたようだった。

「すまない……少し考えごとをしていた。この先の旅で君に何が必要か、考えはまとまったか?」

アンダースは頷き、紙の束を一つフェンリスに手渡した。そこにはフェンリエルの几帳面な文字で、必要な品々のリストが記されていた。一体どれだけの時間、あの若いメイジがアンダースに質問に次ぐ質問をしてこのリストを作り上げたのか、彼には想像さえ付かなかった。彼はざっとそのリストを眺め、その内容に同意して頷いた。

「ほとんどの品は城の中で手に入るだろう――背負い袋に、ポーションに、大部分の服もそうだな。だが、もっと見栄えのする服も要るのでは無いか?いつまでも召使いや農夫めいた服を着ている必要はない」

アンダースはしかめっ面をすると、彼自身が書いた大きなブロック体の文字で埋め尽くされた紙の束をめくり、一枚の頁を指でとんとんと叩いた。

「注意を引かない」とフェンリスはそれを読み上げた。
「ふん、確かにその通りだ。だが、少なくともセバスチャンとホークの結婚式には、上等の服を着ていくつもりだろう?」

アンダースはしょうが無いという顔付きで、一つ頷いた。それから、たった今何かを思いついたというような、奇妙な表情が彼の顔に浮かんだ。しばらくして彼はフェンリスに何か問いかけるような顔をして、幾度も指を床の方に向けて振り、何かをエルフに伝えようとしていた。アンダースはそれを何度か繰り返して、三つの言葉を句切って幾度も繰り返したが、その内の一つが『したい』だと判った以外、フェンリスには全く理解出来なかった。

アンダースは諦めたようにため息を付くと、紙とインク壺、それにペンを引き寄せ、苛々と幾つかの文字を書き入れた。

「『感謝したい、召使いに』…ああ、君の面倒を見てくれていた人達のことだな?」とフェンリスは尋ね、メイジは嬉しげに頷いた。

「それで君はどうしたい?ただありがとうと言いたい?それとも何かちょっとした物かチップを贈るか?」

アンダースは顔をしかめて、それから紙の上の『感謝』という文字を叩いた。彼はベルトの上や服を叩いて、何かを見当たらないものを探すような身振りをしてみせた。財布だろう、とフェンリスは想像した。メイジの苛々したような表情と肩を竦める仕草からしても、贈り物をしたくとも金を持っていない、と伝えたいということは理解出来た。

「彼らに感謝したいが、どうやれば、あるいは何で感謝すれば良いか判らない?」

メイジは一つ頷いた。

「もし彼らに何か物でお礼をしたいというのなら、セバスチャンが喜んで助けてくれるのは間違い無いだろうな。もっとも彼らは君が大いに感謝していると知っただけでも喜ぶだろうが」

アンダースは鼻の上にシワを寄せると、ため息を付いて、丸めた紙を放り投げるような仕草をした。

「それについてとりあえず考えてみて、また後で決めたい?」

また一つ頷き。

ちょうどその時、フェンリエルが嬉しそうな表情を浮かべて部屋に戻ってきた。
「一日か二日で出来るって。二つか三つ、扉の取っ手とかナイフの柄を作るのに適した材質で作ってみて、どれが一番使いやすくて、重さとか耐久性が充分か試してみるそうだよ。それと、これをもう作ってくれていた」と彼は付け加えると、アンダースの前のテーブルにスプーンを置いた。曲がった木で出来た、ひどく変わった形をしていて、持ち手は真っ直ぐな棒の代わりに、平べったく曲がった針の形になっていた。

アンダースは驚いてそれを見つめると、手にとって持ち上げてみた。すぐにフェンリエルが手を貸して正しい持ち方を示し、曲がった針の柄を彼の手の甲に添えて、親指で下の方を支えるようにさせ、広い柄の側面が手から少しはみ出した。この平べったい木製の鈎は、メイジが曲がった指で握ろうとしなくても、安定して手に載せていられるように出来ているとフェンリスは気が付いた。アンダースは幾度かスープをすくうような手振りをしてみて、実に嬉しそうにフェンリエルに笑いかけ大きく頷いた。もう彼は手でつまめる食事だけに縛られることは無く、スープでもポタージュのような具の入った汁物でも、これを使えば自由に食べられるのは明らかだった。これからの旅路で大いに役立つのは確かだろう。アンダースはそれを片手から外すと、丁寧にベルトの小物入れにしまい込んだ。

フェンリスの前に広げた旅の必需品のリストを見てフェンリエルは頷き、それから二人はそれに付け足す物について話し合った。カークウォールを出た後も彼らの装備は充分良好な状態で、どうしても必要な物はそれほど無かったが、それでも十数個の細々とした品々を付け足して、ようやく他には何も要らないだろうと三人とも同意するリストが出来上がった。

それからフェンリスが、城の中で間違い無く手に入ると思う品に印を付けていき、フェンリエルが――エルフよりも遙かに手早く、ずっと綺麗な文字で――それら以外の品々を書き入れたリストを作った。
「まだ日暮れまでには随分時間がある」
若いメイジがリストを写し終えた後でフェンリスは言った。
「このリストをセバスチャンの執事に渡してから、市場に出かけてそれ以外の品を見にいくというのはどうだ?」

アンダースは部屋に残りたいと言う素振りを見せ、フェンリスと若いメイジが彼らの財布を持ち、フェンリスは彼の剣を背に留めて二人で部屋から出て行こうとする時には、既に大判の本を膝に載せて窓際に腰を降ろしていた。

それから二人は、彼ら自身の代わりにセバスチャンの金を使って市場で買い物をし、実に楽しい午後を過ごした。フェンリスは無論、以前にも同じことをしたことがあった――セバスチャンが鷹揚に彼の友情と感謝を示してくれたのは、今回が初めてでは無かった――しかし友人と共にそうするというのは、またとりわけ楽しかった。
彼らは数時間を費やしてリストの品を探して歩き、求める物を買い入れ、あるいは手配して、品物と請求書を共に城へ送らせた。二人は無論、この特権を濫用するようなことはしなかったが、それでも旅に必要不可欠というわけではない品物も幾つか――若いメイジのためには白紙の日記帳と、ドワーフ製の精巧な金属製のペン、とりわけ美しい革製の丈夫な長靴、それに温かく雨を防ぐ外套。フェンリスは最上級のワインを何本かと、北方でしか手に入らないスパイスの利いた、彼のお気に入りのクッキーを密封できる大きな缶に入れて貰い――それぞれ城に送って貰うことにした。

実に楽しい一日を過ごす間にも、フェンリスは彼自身出発を待ち望んでいることに気が付いた。あの事件でカークウォールを離れた後で、彼は自分が旅をして歩くのが気に入っていることに気付いた、たとえ旅先で経験する事柄が、必ずしも全て良いことばかりでは無かったにしても。カークウォールで病の床に着いた日々を除けば、このスタークヘイブンでの滞在はこの数年で一箇所に留まった、もっとも長い日数となっていた。
彼らが出席する予定の結婚式はもうそれほど先の話ではなく、その後一日か二日で彼らは旅立つ予定で、フェンリスはそれを待ち望んでいた。

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